本日はきもの芸術科の生徒さんが和手芸の時間に制作した「筥迫(はこせこ)」をご紹介いたします。
筥迫とは和服の装飾品の一つで、函迫、箱迫とも書きます。江戸期以前は厚手の紙を折ってその間に櫛(くし)や笄(こうがい)を入れて携帯していたものが、江戸時代になって小袖と帯の発達と共に懐(ふところ)に物を入れる習慣が生まれ、素材も厚手の紙から華麗な織布が用いられるようになり、武家や商家の女性たちの間で大流行したものです。
筥迫の中には懐紙などの紙や箸差(はしさし)、懐中鏡などを入れていました。
開いた状態です。生徒さんの作った作品は小物入れと鏡がついています。
分解するとこのようになります。左端は本体のふたを押さえる「胴締め」、右端は「房飾り」です。胴締めには匂い袋などを付けます。写真を取り忘れてしましましたが、これに「びら簪」という簪型の飾りが付きます。
本体や胴締めの縁も全て縁取りがしてあり、丁寧に仕上げられていますね。大変よくできています。
江戸時代後期からはかつて髪飾りをはさんで入れていた名残から筥迫に胴の先端に耳かきのついた簪(かんざし)をつけるようになり、装飾性が一層高まりました。
江戸時代の装身具はその女性の身分を表すものなので、大奥では「御目見得」以上の役職、武家であれば中流の武家女性以上、商家であれば豪商クラスの家柄の女性だけが身に着けることを許されていたそうです。
したがって筥迫を持ち歩けることがその女性のステイタスとなり、筥迫はステイタスシンボルにもなっていたようです。
近代になって武家制度が崩壊した後も筥迫は山の手の上流婦人や芸者たちの間でおしゃれな小物入れとして流行アイテムとなり生き続け、現在でも花嫁衣裳や七五三の女の子の祝い着に用いられています。
意外なことに巾着袋などの袋物を女性が持ち歩くようになったのは江戸末期から明治時代になってからのことだそうです。
それまでは筥迫や懐、袖に物を入れて持ち歩いていました。どうしても入りきらないものは風呂敷に包んで持ち歩くか、背負って歩いていました。風呂敷も中身を下ろせば折りたたんで袖などに仕舞うことができますので、そう考えるときものの便利さが再認識できますね。
機会があれば他の生徒さんが制作した筥迫もご紹介したいと思います。